横垣哲也のミソ知る

時代に乗り遅れたテレビカメラマンがブログを始めました。

制約と曖昧のあいだ<74日目>

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雨の音がばらばら聞こえたので外に目をやると、空は暗夜の中にまだほんのりと青さを残していました。ふと時計を見ると19時。気がつけば5月も後半に差し掛かかろうとしています。夏至に近づくにつれて日照時間も長くなってきました。この時期になると屋外での撮影も長時間可能になるのでロケが押すこともしばしばあります。

 

以前ノルウェーでの取材期間中、白夜だったときはずっと外で撮影できるので、休憩する時間がなかったのを思い出します。ちなみにそのときは24:00になっても太陽は水平線ギリギリ沈まないまま見事に上昇していきました。その反対の極夜をまだ僕は経験したことありませんが、1日中太陽が昇らないなんて想像してだけでも体内時計が崩壊します。過酷な環境で生活している人って本当にすごいですね。

 

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基本的にロケの際は必ずスケジュールがあります。しかしそのほとんどが予定通りに遂行されていくことはなかなかありません。取材先との食い違いで段取りよく進まなかったり、機材のトラブルなど予期せぬ事態によって撮影に手間取ることがあります。できる事ならその場で問題を解決するのが一番良いのですが、次の取材予定時間が決まっているのでこの場をどうするのか判断しなくてはなりません。

 

それを決めるのはディレクターです。全ての責任を押し付けている訳ではありません。カメラマンは撮影するのが仕事で、ディレクターは決定するのが仕事っていう話です。決められたスケジュールの中で我々カメラマンは必要なカットをできるだけ撮影していきます。16:9という決められたフレームの中で画作りをしていますカメラマンはいくつも決められたルールの中で仕事をしているのです。哲学者ゲーテも『制約の中に自由を感じる』って言ってます。

 

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曖昧な業界なんです。視聴率もそう。全国ネット番組の場合だと視聴率1%だと100万世帯が観ている計算になり、10%だと1000万世帯ということになります。果たしてそれだけの人がちゃんとテレビを見ているのか正確にはわかりません。お金に関してもそうです。我々技術スタッフの報酬は日当計算なのですが、その金額も決まっているようでちゃんと決まってない。仕事が終わってから金額交渉することもしばしばあります。

 

しかしその曖昧さのおかげで業界全体、そして我々の生活が成り立っているのです。この社会は曖昧さが必要なのかもしれません。それが良いとか悪いとかそういう話がしたい訳ではありません。僕のブログは毎日更新しなくても誰にも咎められませんけど、それが出来ない曖昧な自分自身に若干の気持ち悪さを感じているだけなんです。これは僕の性格の問題か、はたまたカメラマンの性なのでしょうか。

 

春を感じないまま夏を迎えようとしています。ただ何も感じないまま日々過ごすことだけはしたくないと思うわけです。

 

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どうやら外の雨も上がったようです。気がつけば時刻はすでに深夜2:00をまわっています。お金の話がしたかったんです。『資本主義から現場主義へ』、『慌てるカメラマンは貰いが少ない』、『その1カット、プライスレス。』なかなか予定通りうまくいきません。残念ですが明日に備えて今日はもう寝ます。明日もブログ書けるかな?

 

 

【ちょっと大きい声でヒトリゴト

今やるべきコトはわかっている。その理由をはっきりとさせて、限りある時間の中で予定を立て作業をする。

 

 

ご精読ありがとうございました。