横垣哲也のミソ知る

時代に乗り遅れたテレビカメラマンがブログを始めました。

読むか読まないかはご自分で決めてください<82日目>

何か新しいこと始めようという人に「撮影技術を学んでテレビカメラマンを目指しましょう!」と僕が言って始める人はまずいないでしょう。僕の経験則の情報だけでは何の信用も説得力もありませんからね。

 人は人に決められることに違和感を感じます。昔、母親に「今日の晩ご飯何にする?」と聞かれて「何でもいい」と答えたにも関わらず、出された料理に対して文句を言ったことあります。結局何でもよくないんです。

「お任せします」と言って現場では何も言わなかったのに、終わってから文句を言うディレクターがたまにいます。僕も大人ですから『その時に言えよ!』って言いたくなるのをグッと堪えます。そういう人に限って、失敗は人のせい、手柄は自分のものにしようとします。

僕はそんなディレクターとは今後一切の仕事をしない事に決めています。結局やるかやらないか、自分で決めることが大事なんです。

 

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僕はフリーランスなので決定権は自分にあります。仕事を受けるのか断るのか。何の機材を使って、誰とチームを組むのか。細かい事を言い出すと全ての行いが決定の連続なんです。決定するということは責任を伴うということです。なのでそれなりの覚悟を持って行動しなければなりません。周りに嫌われている人って覚悟が無いまま決定している人の事を言うんでしょうね。

そんな中覚悟を決めて決定したいけど、出来ない場合がいくつかあります。それがルールです。国のルール、社会のルール、会社のルール、家庭のルール。その時に応じてそのルールに従わなくてはなりません。そこにこちらの決定権がないから人は違和感を覚えるのです。

 

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カメラマンにもルールがあります。16:9のフレームの中で映像表現をしなければなりません。限られた時間の中で取りこぼしが無いように撮影しなくてはなりません。もちろんそこに違和感を感じますが、そのルールの中で撮影を進めていかないとロケは一生終わりません。考えて工夫をすることに仕事の面白さがあるのだと感じています。

しかしいかに工夫をしてもやっぱり限界があります。そんな時はやらない事を決めます。富士山の全景を撮ろうと思っても大阪からは撮れませんし、時間が無いのにあれもこれも撮る事はできません。『諦める』と似ていますが少し違う気もします。

作品に対してこだわりが無いわけでは決してありません。もしこだわりたいなら一緒にこだわりましょう。ただし、その場合は普段より時間かお金、もしくは両方を多く使うという決定をディレクターはしなければなりません。

 

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最近、僕の知り合いに新しいことを始めた人と、毎日続けていたことを辞めた人がいます。前者は何かに強く影響を受けたのか、前からやろうと考えていてそのタイミングがちょうど来たからなのでしょう。後者の場合は単純に飽きたのか、どうしても辞めなければならない事情があったのだと考えます。

以前の僕であれば両者に何か意見をしていたと思います。それは良かれと思って言っているのですが、相手からすると大きなお世話です。

それでも僕は大きなお世話はしないより、した方がいいと思っていました。

そう、偽善です。偽善者というものは自覚しているからタチが悪いですね。これは偽善者の張本人が言っているから間違いありません。僕はタチが悪いんです。

 

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ブログを始めて自分を深く掘り下げたことで、己の愚かさに気づくことができました。それは人に言われて気づくことはできませんし、自分で気づくことがとても重要なんです。

 40歳を前にして僕も少し大人になりました。こうしてブログを毎日発信することで誰かの気づきの後押しになったら嬉しいです。

 

〈ちょっと大きい声でヒトリゴト

これを読んで耳が痛いと感じた方は、耳鼻科に行っても治りませんよ。

何も感じなかった方は、何もしなくていいですよ。

言われなくても知ってたよって人は、知らんふりして下さい。

 

 

ご精読ありがとうございました。