横垣哲也のミソ知る

時代に乗り遅れたテレビカメラマンがブログを始めました。

いろんな角度で考える<113日目>

 

 

 『道徳』と『経済』の話にお付き合い下さい。

 

 

 

 ある日のこと。

 太陽が起きる前に目を覚ましました。

 コーヒーが飲みたくなったので、散歩がてら近所のコンビニまで買いに行きました。

 

 入店して早速レジに向かうが店員はいない。

 店内を見渡してみてもどこにも見当たらない。

 「すいませーん」と声を出してもいいのだが、急いでるわけでもないので様子を見ることにした。

 

 すると奥の部屋から若い女性が慌てて出てきて接客をしてくれた。 

 「ホットのレギュラーをください」と注文する。

 「100円です」

 あらかじめ用意していた100円玉をキャッシュトレイに置いて、コーヒーカップを受け取る。

 

 先に言っておくと、この手渡されたカップは注文をしたレギュラーサイズのカップではなく、ラージサイズのカップだった。

 手にした瞬間、少し違和感を覚えたがその瞬間はわからなかった。

 

 自動で検知してくれるタイプのコーヒーマシンにカップをセットし、パネルに表示されたメニューをタッチ。

 その間にカップの蓋を準備してコーヒーができるのを待つ。

 

ピーピーピー

 

 マシンからコーヒーを取り出し、フタをしようとした時に初めてサイズが違うことに気がついた。

 あっ⁉︎と思い、反射的にレジの方に目をやると、店員はすでに奥の部屋へ戻っていなくなっていました。

 僕はそのまま店を後にした。

 

 

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 僕の出した答えは、『店員の勘違いをそのままスルーして、注文していないラージサイズのコーヒーを買って飲む』でしたが、人によっては『店員さんにもう一度声をかけ、カップをレギュラーサイズに変えてもらう』という選択もあると思います。

 

 

 道徳の視点で考えてみます。

 コーヒーの量が増えてラッキーという無責任で楽観的な考え方を僕はしてしまいましたが、人によっては悪意のない罪悪感を抱くことでしょう。

本来はそうあるべきだと僕も理解しています。

 

 

 しかし経済の視点で考えてみると、

 

 今回はレギュラー(100円)に対し、誤ってラージ(150円)のコーヒーを販売してしまった。

 よって、100円-150円=-50円の損失になります。

 

 もし僕が訂正してレギュラーに作り直してもらったとしたら、

 100円-150円-100円=-150円の損失になってしまいます。

 

 数字だけで考えると僕が訂正しないほうがコンビニにとって損失が少ないのだ。

 

 もしも僕がこのコンビニの店長だとします。

 まったく同じ状況で客が訂正してきた場合、僕はこう答えるでしょう。

 

「あ、そうでしたか。大変失礼致しました。もしお客様に差し支えがなければ、そのコーヒーをお持ち帰りください。お代金はレギュラーの金額でこちらは結構でございますが、いかが致しましょう?」

 

と、こちらのミスを認めた上で、売り上げの損失を抑え、客の気持ちを第一に考える。

 

 しかし相手は若いバイトの店員です。

 そこまで考えているか定かではありません。

 

 

 色々考えた結果、僕はコーヒーをラージサイズのまま持ち帰るという選択をしました。

 

 これに関しては、色々な意見があると思います。

 そしてこの話にオチはありません。

 

 ただこの話を読んで「そんなことどっちでもいいわ!」と身も蓋もない言い方をする、しょーもない大人にはなりたくないと思いながら、ありがたくコーヒーを頂いたというお話でした。

 

 

 

ご精読ありがとうございました。