横垣哲也のミソ知る

時代に乗り遅れたテレビカメラマンがブログを始めました。

撮影したいものは何なのか?<34日目>

折に触れて飲み会をしています。メンツはよく仕事をしている技術スタッフが中心です。世代は30代〜40代で、立場もそれぞれ「会社員」や「フリーランス」と組織の垣根を超えて集まります。

この業界は時間が不規則。急に仕事が入ったりするんでプライベートのスケジュールが立てにくいんです。ロケの前日までスケジュールがわからない事がよくあります。(制作のみなさ〜ん、ロケスケを早めに教えてもらえると大変助かります〜)

幹事的なことをよくしているんですが、みんなの予定がわからないから、事前にお店の予約ができないんですよ。だから日程と時間、場所だけこっちで勝手に決めて一斉メールします。参加できる人だけ好きな時間に参加するフリースタイルです。でもこれが意外と集まるんですよ。忙しいふりして実はみんな暇なんじゃないでしょうか?

 

「何故、彼は助けなかったのか」

飲み会が始まるとみなさんコミュニケーション能力が高い人ばかりなんで、初対面でもすぐに打ち解けてそれぞれの会話を楽しんでいます。近況報告や新しい機材のことなど内容は「仕事」のことばかりです。お酒も入ってくると話もだんだん熱くなってきて話題は「ジャーナリズム」の話になりました。

みなさんは「ハゲワシと少女」を聞いた事がありますか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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この写真です。

痩せた少女が道端でうずくまっていて、その奥でハゲワシが少女の死を待っています。

フォトジャーナリストのケビン・カーターが撮影したもので、1994年のピューリッツァー賞写真部門を受賞しました。

この1枚の写真に対して世界中で大議論が巻き起こりました。

「なぜ、カメラマンは少女を助けなかったのか?」

「真実を伝えることがジャーナリズムだ」

人間の尊厳を優先するのか?それともプロ意識の徹底か?その状況になった時にどうすれば良いか明確な答えは最終的に出なかったみたいです。

 

無力な仕事

お恥ずかしい話ですが、僕はこの話を知りませんでした。後日、ネットでよく調べてみると、そのことについてたくさんの情報がありました。

僕はジャーナリストじゃないので難しい話はできないですが、テレビカメラマンとして思う事はあります。

2011年3月11日東日本大震災が起きました。

僕はカメラマンとして会社に所属していていました。テレビでニュースを見たとき、居ても立っても入れなくなり、社長に直接電話をしました。

「被災地で取材があるなら行きますし、僕にできる事は何でも言って下さい」

しかし僕が初めて被災地に行ったのは数年後の震災復興取材でした。

地震直後、被災地の取材要請が会社にもありましたが、すべて断っていました。理由は「社員を危険な場所に行かせる事ができない」でした。

僕は会社の判断は間違えていないと今でも思います。僕自信、何とかしたい気持ちはありましたが、社員を守るという気持ちも理解できます。社員にも大切な家族がいるのに仕事だからといって無責任な事はできなかったんでしょうね。

連日テレビは24時間体制で地震のことを報道しました。元々入っていた仕事がキャンセルされて会社で内勤している時間が増えました。テレビを観ながら横で上司が「自分のやっている仕事は世の中で別になくてもいい仕事。無力さを感じる」と呟いていました。

 

あなたならどーする

もしもの話。

楽しいバラエティー番組のロケをしています。すると目の前で大きな事故があり、それが原因で通行人がケガをしています。

僕はカメラを置いてケガした人を助けると思います。

では、自分がケビン・カーターとして「ハゲワシと少女」の場合はどうでしょうか。

その状況を世界に伝える事が目的でスーダンに来ている訳ですから、僕は必死でシャッターを切ると思います。

「愛」、「生死」など普遍的な内容ほど考え方は表裏一体だと思います。円グラフで例えると「1と99」の間の線は、

「0か100」

2つの見方ができます。こういうどちらにも捉える事ができる部分が人の心を動かすポイントになるんでしょうね。

 

宴もたけなわですが

酔っ払いながら散々議論を交わしたが、ある人のこの言葉を聞いてその場は落ちつきました。

「自分が撮りたいモノを撮る。視聴者が観たいモノを撮る。」

どんなテレビカメラマンでも、仕事する上でこの考え方は当てはまります。

心が熱くなるような撮影がしたいですね。

終始、笑いと刺激しかない楽しい飲み会でした。また集まりましょう。

 

ご精読ありがとうございました。